10月1日(火)、部長室の白いテーブルの上に公文書・チラシ・新聞等が置かれていることを目にしました。事務処理能力がそう高くはないと自覚している私にとっては、優先順位を決めてとにかく片っ端から片づけなければならないとあくまでも仕事に専念する決意をしたのです。
そこにあったグレーがかった角2号サイズの封書が目に留まりました。差出人は横浜市在住のUさん。旧姓はIさんとあります。何がどうしたのだ?との思いが弾け飛び、開封してみると…、『何やら油絵のコピーらしきものと、いかにも学校の先生と思しき字形で便箋5枚にも渡る綿々とした文』でした。しかも、万年筆で書かれていました。
実は、(あえてIさんと記します)Iさんは昭和40年から本校に音楽専科教諭として在籍していたというのです。その後、退職され横浜に住まいを持った由。5枚の便せんにはその当時の作新学院小学部の様子が目に浮かぶように生き生きと書かれていました。しかも、私にとっての大先輩であるかつての部長先生や教頭先生のお名前も記されており、懐かしさとある種の感激さえ覚えたのです。
Iさんのお手紙の主旨は「退職後、趣味として油絵を描き展覧会にも出品してきた。現在八十路を過ぎ、書き溜めた絵のひとつを音楽室の廊下にでも飾っていただければこんなに嬉しいはない」旨。
その日以来、あれやこれやと電話でやり取りしたものです。現在、小学部が各学年3クラス編成、420数名の児童を擁するなどとお伝えすると、「大きくなりましたねえ」と、まるで孫が成長している様を微笑ましく見ている祖母のような温かい感覚に覆われたのでした。
そして、過日のこと。2024年10月17日、午前中に横浜ナンバーの赤帽さんが荷物を届けに来校したのです。当日は、大安日でした。荷物の中身は、当然Iさんの油絵でした。小学部の当時の制服を着た数人が音楽室のグランドピアノを囲み合唱している絵です。150cm四方の大作です。
縁とは、繋がりとは、伝統とは、いろいろと感慨深く思いに耽る秋の夜長です。