教育対論 山中 伸弥 教授 ✕ 畑 恵 理事長

「作新アカデミア・ラボ」の完成を記念し、ノーベル賞受賞者で京都大学iPS研究所所長の山中伸弥先生と、本学院 畑恵理事長による「未来を拓く教育」をテーマに対談が行われました。

ノーベル賞という科学者としての頂点を極めた後も、黙々とフロントランナーとしてひた走り続ける山中伸弥という類稀な人物が、どのような教育によって形成され、人生の各段階でどのように悩み成長しステップアップして行ったのか等がお話しされており、貴重な対談となっております。是非ご一読ください。

=教育対論= ~未来を拓くということ~

(『作新アカデミア・ラボ コンセプトBOOK』より抜粋)

ー予測のできない、激動の時代。
  試練に満ちた人生という航海を導き
  未来を切り拓く“羅針盤”とはー

21世紀最大の偉業と言われるiPS細胞の生みの親として、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授。

医師を志した高校時代から変わることのない、「人を救いたい」という一念に突き動かされるように、
受賞後もなお研究成果の実用化に向け、世界の第一線をひた走る。

「志・努力・チーム力」の三位一体を体現するその姿は、作新学院の掲げる「自学自習、誠実勤労、一校一家」の教育方針と見事に合致する。

その類稀な“人間力”を培った「教育」とは。未来を拓く人間力を育む家庭や学校など、
その原点に光を当てる。

《PROFILE》

京都大学 iPS細胞研究所 所長
山中 伸弥 教授

1962年生まれ。神戸大学医学部卒業、大阪市立大学大学院医学研究科修了(博士)。米国グラッドストーン研究所博士研究員、奈良先端科学技術大学院大学や京都大学再生医科学研究所教授などを経て、2010年より京都大学iPS細胞研究所所長。06年、受精卵のように体の様々な細胞に分化する可能性をもつ人工多能性幹(iPS)細胞をマウスの皮膚細胞から作製したと発表。07年にはヒトの皮膚細胞からiPS細胞を樹立したと発表した。
12年、ノーベル生理学・医学賞を受賞。同年、文化勲章受章。

作新学院 理事長
畑 恵

1962年生まれ。早稲田大学第一文学部、お茶の水女子大学大学院卒業。学術博士(Ph.D. in Science Policy)。
84年、NHK入局後、フリーランスのニュースキャスターとして活動。92年、EC(現EU)の招聘を機にパリ留学。95年、参議院議員選挙で初当選。IT・科学技術分野を専門とし、議員立法「研究開発成果実用化促進法案」を策定。
2013年より作新学院理事長。

日本の教育は「ハードスキル」中心。
でも実際に世の中を生き抜いていくには
「ソフトスキル」こそが重要です。
―山中伸弥氏

 

子どもたちに内在する発想力や創造力を
アクティブ・ラーニングで引き出し
未来をデザインする。
それがラボの使命です。
―畑 恵

 

-「スーパーマンになれ」の教えのもと
 失敗を繰り返して学んだ
 中高教育 ー

 

畑:お陰様で、以前からお話ししていた「アカデミア・ラボ」がようやく竣工しました。

山中:アクティブ・ラーニング中心の教育機関で、オープンラボなんだそうですね。

畑:はい。以前、米国 MIT(マサチューセッツ工科大学)の「メディア・ラボ」を視察した際、全面ガラス張りで高い壁に遮蔽されない空間が、こんなにも創造力や発想力を自由に羽ばたかせてくれるのかと衝撃を受けました。ですから、アカデミア・ラボには固定壁がほとんどありません。机や椅子もキャスターを付け、用途に応じて瞬時にフォーメーションを変えられるようにしています。

山中:日本の教育はハードスキルと言いますか、知識を習得し受験やテストでいい点を取るという教育が中心。それも重要ですが、実際に世の中を生きていくためには、「ソフトスキル」が重要です。ソフトスキルとは、コミュニケーション力やチーム力、忍耐力、そして自分たちで考える力。自分たちで大きな課題をいくつかに分け、それぞれで分担して解決していくといったスキルがないと、社会ではうまくいきません。

畑:作新で「人間力」と呼んでいる力が、まさしくそのソフトスキルにあたるのだと思います。ラボでは、教師が一方的に話し板書する授業は行いません。グループワークを基本としながら、プレゼンテーションやディスカッションを生徒たち自身が重ね、課題を解決する力を養います。

山中:そういう授業は、ソフトスキルを生徒さんたちに植え付ける意味で、本当に素晴らしい取り組みと思います。

畑:ありがとうございます。先生は、ノーベル賞受賞後もiPS細胞の研究からその実用化まで、常に世界のトップを走り続けてらっしゃいますが、そのきわめて高いソフトスキルは、どこで養われたのでしょうか。

山中:いや、畑先生こそソフトスキルの塊だと思うんですが。ただ、僕にとって中学・高校での教育が、すごく役立ったというか、そこで身についたんだと思います。

畑:大阪教育大学付属の中高一貫校で学ばれたんですよね。

山中:教育方針が、いい意味でほったらかしというか、ハードスキルも自分で勉強しなさいという感じで、行事とかクラブ活動がすごく盛んでした。先生から何も指図されず、自分たちで企画し、自分たちでやると。それで失敗は一杯するんですけど、まさに失敗から学ぶという校風でした。

畑:先生と同い歳だからかもしれませんが、私の学んだ都立国立(くにたち)高校も完全な放任でした。制服も、校則も一切なく、髪を染めても化粧をしても、すべて生徒の自由。当時の都立高の中では受験偏差値が一番高かったはずなんですが、盛んなのはむしろ部活。野球部は都立高史上はじめて甲子園に出場しました。

山中:作新学院も昨年甲子園で全国優勝され、畑さんはよほど甲子園に縁があるんですね。

畑:確かに54年ぶりの優勝だったんですが、それが丁度自分の年齢と同じ年だったりしまして。先生は、柔道部で活躍され、生徒会副会長も務められたとか。

山中:中学・高校と柔道部でした。大学に行ってからはラグビー部で。
かなり本格的な体育会系の部活でしたね。

畑:神戸大学の医学部に現役合格されて、医師国家試験にも順調に合格するその一方で、厳しい部活にも取り組まれていたとは、まさに超人的ですね。たしか高校時代に、「スーパーマンになれ」っておっしゃられた先生がいらしたと伺いました。

山中:そういう先生が、何人もおられました。

畑:えーっ、何人もですか!

山中:そのことは子ども心にすごく影響していて、いろんなことをやるのが当たり前という雰囲気がありましたね。試験前でも、クラブや自治会の活動はやらなあかん。でも、テストの点数もある程度取らんといかんので、そこがもう創意工夫のしどころで。どうやってこの短い時間でやり切るか、常にそういうトレーニングや工夫をしてたような気がします。

畑:そんなスーパーマンみたいな生徒は、山中先生だけじゃなかったんですか?

山中:いえ、結構いましたね。ただ、実際のスーパーマンは何をやっても成功するんですが、残念ながら僕たちはいろんなことをやってほぼ失敗するんです。でも、それは全然OK。中学・高校でソフトスキルをつけるっていう面では、むしろ変に成功するより、いろんな失敗を10代に経験する方が。当然、社会に出ると失敗が起きますから、その耐性というか、受け止め方が身につく。それに、失敗っていうのは一見失敗なんですが、実際にはすごいチャンスということも多いですから、失敗への対応力が身についた気がします。

畑:ノーベル賞受賞に至る山中教授の萌芽は、まぎれもなく中学・高校時代の教育にあるんですね。

山中:いや、それは本当に、中高での教育環境に感謝してますね。

畑:同じ文脈で語るのは先生に失礼なんですが、リオ五輪で金メダリストになった萩野公介選手も、作新で中高6年間を送りました。海外遠征などで一年の半分も授業に出られない中、学習面でも常にトップクラスの成績を維持していたんですが、同級生が用意してくれた授業ノートを、遠征先で自分の手で書き写して勉強していました。

山中:僕も中高の友達とはずっと付き合いが続いてますし、やっぱり宝のような友達が10代でできたことは大変な財産ですね。

10年後が予測できない世の中ですから、
「直線型」だけでなく「回旋型」の
人材も大切。
ラボでは、回旋型人材をどんどん輩出
してほしい。
―山中伸弥氏

 

アプローチは、変遷していいと
思うんです。
こうありたいというビジョン、
世の中を少しでも良くしたいという
「志」さえあれば。
―畑 恵

 

ー「不変」の志のため「変化」を選ぶ。
 非直線型のキャリアデザイン ー

 

畑:医学の道を志されたのは、お父様の勧めと伺っていますが。

山中:父は工場の経営をしていたんですが、跡取り息子の僕に仕事を継げとは言わず、高校生くらいの時から医者になれ、医者になれと言っていました。糖尿病と肝炎を患っていたため、息子が医者になってくれたら嬉しいと思ったのかもしれませんが。

畑:お父様から託された夢を叶えたい、そしてお父様の病気を治したいというのがモチベーションになったと。

山中:医学に対する興味が生まれたのは、父親がきっかけだと思うんですが、当時は「お医者様」って感じで医師の力が圧倒的に強く、夜間診療もしていないとか。そんな中で、患者さん本位の医療をやろうというドクターが出てきて、そういう人の本を読んで、高校生くらいですから感化されやすいんですね。これは、すばらしいな、自分も医者になりたいと思ったんです。10代って、そういう正義感とか反権力主義とか持ちやすい年齢じゃないですか。

畑:私がジャーナリズムを志した動機も同じでした。真実を一人でも多くの人々に伝えることによって、理不尽で矛盾だらけの世の中を少しでも理にかなった社会にしたい。ひたすら正義感に燃えていた気がします。先生も権威主義的なお医者様でない、市井の人々を救う医師を目指されたと。

山中:僕は、大学の医学部では整形外科医、中でもスポーツ医を目指していました。自分も柔道やラグビーをやってしょっちゅう故障やけがをして、涙が出るくらい痛い。ただそれでも練習をしないとレギュラーになれないというツラさがわかる。そういう選手を専門に診る医者になりたいというのが、学生時代のビジョンでした。

畑:実際、整形外科医になられましたよね。

山中:はい。ただ最初に大きな大学病院に勤務したこともあり、患者さんの大半は重症のリウマチや骨肉腫といった重篤な病気やけがの人ばかり。とにかく、まったく治せない。自分にとって整形外科のイメージは、スポーツ選手を治して元気に帰っていくという明るいものでしたから、実際医師になってみると全然違った。

畑:私も大学卒業後に念願のNHKに入局したんですが、自分の意思や考えを表現する機会が制限されていて随分とまどいました。ディレクター志望だったのに、配属先がアナウンサーということもあったとは思いますが。先生はその後、医師から研究者へと転身されますね。

山中:ええ。実は父親が亡くなってしまい、病気だった父に結局何もしてあげられなかったことで、医師としての道をどうドライビングしたらいいかわからなくなってしまって。そういうことがきっかけで始めたのが、研究なんですね。研究というのは時間がかかるけれど、今は治らない、治せない患者さんを将来治す可能性がある。学生時代に考えていた自分の将来とは、全然違うことを今やってるんですね。

畑:実は、先生が研究者という新たな道を選ばれた同じ年に、私もNHKを退局しフリーランスのキャスターとなりました。その3年後には文化政策や文化行政を学びに、パリへ留学。帰国後、文化予算の増額を国会議員に陳情したところ、「そんな金にも票にもならないこと、(国会に来て)自分でやったら」と言われまして。結局、国会議員になりました。

山中:国会では、研究成果が海外に流出してしまわないよう、基礎研究から実用化まで一貫した日本の科学技術体制を整備することに取り組まれていましたよね。

畑:山中先生からもご指導をいただいて、議員立法を目指したのですが。そういう自分が、今は教育に携わっているのも不思議な話だと思います。

山中:割と日本の文化、社会というのは、直線型と言いますか。あまり変えない、この道一筋何十年という人が尊敬される。それは非常に良いことだとも思うんですが、アメリカには直線型の人と同じくらい、クルクルやることを変える人も多い。僕は、「回旋型」って呼んでるんですけど。

畑:先生も螺旋階段を上るよう華麗な転身をされ、ノーベル賞という頂点をきわめられました。

山中:いえいえ。僕も同じことをずっとやっていると飽きちゃうというか。ただ、それは日本の文化とは相いれなくて、すごく引け目があったんです。でもアメリカに行くと、面白い人がいっぱいいた。例えば、iPS細胞のような新しい技術に、直線型がほとんどの日本人は飛びつかないんですね。アメリカは両方のタイプがおられるんで、回旋型の研究者はパッと今までの研究が残っていても飛びつく。だから、その研究がどっちに転んでも、アメリカはうまくいく。アメリカの多様性ですね、多様な人を認める強さというか。

畑:アカデミア・ラボという建物も、直線を極力使わないでほぼ曲線でできてるんです。階段も螺旋階段ですし。均一で直線的な方が、教育現場も効率的ではあります。でも作新には、幼稚園から大学・大学院まで幅広い年齢層の子どもたちがいて、東大・京大に入学し医師や官僚になる子もいれば、オリンピック選手になる子もいる。商業や工業系で学んで、地域を支える礎(いしずえ)になる子も大勢います。

山中:今、学校に必要なのは、直線型と回旋型、両方いて良いんだというふうに育てることですよね。絶対、両方の生徒さんを育ててほしいです。

畑:日本の学校教育全体で、取り組むべきことですね。自分も回旋型で職業は色々変わりましたが、振り返ると“思い”は常に一つだった気がします。ほんの少しでもいいから世の中を良い方向に変えたい。そこは死ぬまで変わらないと思います。

山中:終身雇用や社会保障といったシステムが変わっていく中で、直線型が一番安全という構造では、もはや日本社会はなくなっています。イノベーションが次々起こり、10年、20年後がどうなっているか本当に予測できない世の中ですから、直線型だけでなく回旋型の人材を日本はもっと輩出していかないと。そういう意味で、アカデミア・ラボでの教育は、非常にそういうことにつながると期待しています。

基礎研究とは、「0(ゼロ)から1」
を生み出す仕事。
その1を100、1000と発展させ実用化
するには 多様な才能や人材、つまり
「チーム」の力が不可欠。
―山中伸弥氏

 

多様性とは、強靭で豊かな未来を生む母。
均一的な教育は効率的ですが、
“違い”があるからこそ広がり、深くなる。
―畑 恵

 

- 一人では社会を変えられない。
  必要なのは多様な「チーム」の力 -

 

畑:先生はプレゼンテーションの最後に、必ず「うちのオールスター・キャストです」って、スタッフ全員の集合写真をパワーポイント画面に投影されますよね。それも研究者だけでなく、ラボテクニシャンや事務職員の方もすべて一緒に。

山中:それはみんな一緒に研究に参加してくれている仲間ですから、当然です。彼らの働きや頑張りなしに、どんな研究成果も生まれませんから。

畑:そうした卓抜したチーム力がおありの山中先生だからできるのでしょうが、研究成果を実用化したり、大きな研究所のマネジメントをなさるのは、ノーベル賞を獲得するのとはまた違う能力が必要ですよね。

山中:そうですね。研究にはいろいろな段階があって、基礎研究というのは0(ゼロ)から1を作り出す研究。iPSができるまでは、僕は基礎研究者で最初は1人、その後も5~10人の小グループで行いました。でもその1を10にし、10を100にしという応用研究になると基礎研究者とは違う才能が必要になります。さらに100を1000にという実用化への段階となると、患者さんを診ている臨床医や、特許や生命倫理の専門家、研究内容を社会に発信するコミュニケーターなど、いろんな人材がいないと、1を10に、10を100に、そして1000にとは行かない。そこで必要になるのが「チーム」なんです。

畑:グループとチームは違うんですか。

山中:グループは、基礎研究者のグループというように同じような人が集まったもの。チームというのは、色々な違う才能の人たちが集まって構成するもので、グループとチームは明らかに違うと思うんです。基礎研究者だった僕に、チームを作るっていう課題がいきなり降ってかかったような。

畑:0から1を生み出す能力と、1を100、1000にしていく能力は、まったく別の才能だと思いますから、通常は別の人が担当すると思うんですが。

山中:だから、僕も本当はやりたくないんですよね。0から1をやりたくて研究者になったわけですから。

畑:でも実際、見事に実用化や研究所のリーダーを務めてらっしゃる。私は研究者だけでなく、マネジメントの才能もすごくおありだと思います。

山中:いえ、経営者だった父から、絶対におまえは経営に向いていないからやめておけって(笑)。ただ、このまま放っておくと1から100、1000へというところが、全部海外に流出してしまうんじゃという恐怖心があって。だから向いていないながらも、チーム作りを始めたわけです。

畑:たしかに日本の科学技術体制というのは、基礎研究と応用・実用化研究の間に大きな断絶があって、貴重な研究成果が海外に流出してしまっている事態は危機的です。山中先生のように研究と経営双方に高い能力をお持ちの方が、日本のiPS研究という重要分野に存在してくださることが何よりの救いです。

山中:いえ、僕は研究者ですから、研究者は研究、経営者は経営と、僕に代わって実用化やマネジメントを担当してくれる人をいつも虎視眈々と探してるんですが。

畑:でも、0から1の研究成果を生み出すだけでは、先生の志は満たされないんじゃないですか。

山中:あ、…そうですね。

畑:先生が医師を目指された時のビジョンというのは、目の前で救われる人が現れて初めて達成されるわけですよね。

山中:はい。

畑:だから先生は必死になって、そこまでは頑張ろうとされているように、私には思えます。

山中:基礎研究って始めてしまうと本当に面白いんです、0から1を作るっていうのは。今まで世の中の誰もやっていなかった、誰も知らなかったことを明らかにするっていう作業は、基礎研究者にしかできない特権みたいなもので。しかも、そこでは、あらゆる失敗が許される。一方、臨床医っていうのは本当に厳しい世界で、教科書、プロトコル通りにやらないと大変なことになってしまう。

畑:違ったことをして失敗したら、患者さんの一生を変えてしまいかねませんよね。

山中:だからいつも極度の緊張感がありました。基礎研究をやりだすと、そこは全部解放されて、もちろんいい成果が出ないとストレスはありますが、臨床医の時のストレスとは全然違うんですね。だから基礎研究者としては、僕は1までやったんだ。あと、1から10、100にしていくのは他の人の仕事だと。

畑:普通の基礎研究者ならそうですよね。でも、山中先生は違った。

山中:たしかにiPSに関しては、ちょっとそういう考えはなかったですね。iPSは0から1の1が、患者さんに近いんです。もともと患者さんの細胞ですから、難病の○○君のiPS細胞って感じで。○○君の病気を食い止められるか、少年の運命がこの細胞の研究にかかっていると。

畑:患者さんの顔が見えるんですね。

山中:そうなんです。普通の基礎研究だったら1のところで患者さんの顔が浮かんだりしないです。iPSの場合は浮かぶんで、もうなんとかしたいと思ってしまう。それもあって、1から10、100というところにも、いまだに関与しているんだと思います。

畑:山中先生が臨床医、研究者、経営者と色々な人生を歩まれているのも、病に苦しむ誰かを一人でも多く救いたいという、高校時代に抱かれた初志を貫き続けているからなんですね。その結果が、ノーベル賞に至るわけですから。

山中:いえ、ノーベル賞は欲しいと思ったことは本当になくて、いわば、副産物。そう言ったら失礼なんですけど。ただ、普段、研究にしても、柔道やマラソンにしても、それなりの目標は決めてやってます。そこまでは頑張ろうという積み重ねが、自分のライフスタイルになってますね。

畑:マラソンも、先日の京都マラソンでまた自己ベストを更新されましたよね。是非マラソンとともにiPS研究の第一人者として、世界のトップを今後も走り続けてくださることを、心からお祈りしています。

山中:ラボの今後を楽しみにしています。頑張ってください!

 

【対談を終えて】

「獅子搏兎(ししはくと)」(獅子は兎を捕えるにも全力を尽くす)。

対談を終えての率直な印象です。

山中先生には、科学技術政策を通じこれまで10年に亘りお話を伺ってきましたが、印象は常に優しく穏やか。ところが今回、対談開始から凄まじい集中力で一つひとつの質問に真剣に答えてくださる姿は、鬼気迫るほどで圧倒されました。

どんな些細なことにも全身全霊で取り組む生きる姿勢こそがノーベル賞を引き寄せ、世界の最前線を走り続けさせるのだと実感しました。

日本の教育にイノベーションを起こす“先駆者”たらんというアカデミア・ラボの志。その達成には、ひたすらの獅子奮迅が不可欠であることを、山中先生から教えていただいた貴重なひと時でありました。

※ 『作新 アカデミア・ラボ コンセプトBOOK』に掲載された、山中伸弥先生との「教育対論」全文は、以下の「ダウンロード」からご覧いただけます。