伝説のNBAプレーヤーに学ぶ ~ 宇都宮BREX 田臥 勇太選手 × 畑 恵 理事長 ~

日本人初NBAプレーヤー、田臥 勇太選手。

高校生から今日に至るまで、日本バスケット界の先頭を突っ走り「革命」を起こしてきたレジェンドだ。

現在、田臥選手がキャプテンをつとめる「宇都宮ブレックス」とのご縁で、この8月、作新学院にて、畑(船田)恵理事長の対談が行われた。

類い稀なる“しなやかな強さ”、すなわちレジリエンスはどこから生まれ、どのように進化し続けているのか。

誰よりもバスケの神に愛された天才・田臥勇太選手の、壮絶なまでに深いその“バスケ愛”に迫る。

しなやかに、つらぬく
伝説のNBAプレーヤーに学ぶ
やわらかな レジリエンス
《PROFILE》
宇都宮BREX キャプテン
田臥 勇太 選手

1980年生まれ。神奈川県出身。秋田県立能代工業高等学校時代には世界ジュニア選抜に選ばれた。2004年、フェニックス・サンズの開幕ロースターに入った日本人初のNBAプレーヤーである

息詰まるほどの自己研鑽と
周りを活かし切る姿勢が
圧倒的オーラを生む

理事長今日は短いオフシーズンの間隙を縫って学院までお越し下さって、本当にありがとうございます。先日はBリーグでの準優勝おめでとうございました。コロナ禍の中、勇気と元気を沢山いただきました。

田 臥応援ありがとうございました。

理事長田臥選手は、能代工業高校で3冠(高校総体、国体、全国高校選抜)×3年の9冠という「リアル・スラムダンク」を達成され、世界ジュニア選手権大会にも初の日本人として出場。そして、日本人初のNBAのプレイヤーになられた。NBAでプレーした選手はまだ日本人に3人しかいないわけで、今日は作新に“神降臨”という気分です。

田 臥神だなんてとんでもない。僕を街中で見かけた人は、結構いるんじゃないですか?

理事長実を言うと、私も宇都宮駅の新幹線ホームでお見かけしまして。黒っぽいジャケット姿で、アーティスティックなオーラを放つ方が向こうからやって来るなぁと思ったら、同じベンチの端に座られたんです。すると何かとてつもなく穏やかで、澄み切った“氣”に包まれているような感覚になり、それが田臥選手でした。

田 臥えっ、それが僕だったんですか?最初の印象が悪くなくてよかったです(笑)。

理事長田臥選手をきっかけにバスケを観るようになって、やっぱりトップ・オブ・トップの選手というのは、そこにいるだけで“場を支配する力”を持つと実感しました。「モーゼの十戒」のように、ゴールまでの道が自ずとその人の前には開かれる圧倒的な存在感、特別な力がある。どのようにして、そういう力というかオーラが形成されて行くのか知りたくて、田臥選手に直接お話を伺いたいと思いました。

田 臥他のメンバーをいかに活かせるかというポジションなので、自分というよりはどれだけ周りの選手が活き活きできるか、それによってチームが勝つことを目指しています。プレー中もベンチにいる時もベストを尽くせることを探しながらやって来たら、40歳になりました(笑)。

理事長ただバスケ、特にNBAのバスケなどは、どれだけ相手に切り込んでいってボールを奪うか、強い自己主張を求められると思うのですが、少し引いた立場から全体を回していくこととのバランスは、どのように取るんでしょう?

田 臥いかに自分を出すか、表現するかということを、アメリカで学べたのは大きかったですね。やっぱり生き残りがかかってますから、アピールしないといけない。そうした中で自分を出すということの種類が、やはり経験を積んでいく中で増えていくんだなぁと感じています。

理事長自分を出す種類が増えるというのは、どういうことでしょうか?

田 臥アメリカに行った20代前半のときは、(身体的に)持っている武器が小さい分、スピードやより技術的なものがメインでした。では、それらが通用しなくなった時に何で対抗すればいいのか。技術を磨き技を増やすのは当然ですが、それ以外の面ですね。

理事長たとえば人が嫌がることを率先してやるとか、泥臭いところで勝負をするとか、そういうことでしょうか?

田 臥それは今でも大事にしています。転がっているボールは絶対に負けたくない。それは引退するまで思い続けると思います。引退してもサボっている選手を見ると僕は許せないほど、ルーズボールにはこだわっています。それが生きる道だと思っていますし、小さい積み重ねを集中力を切らさずに研ぎ澄まし、一本でも多くできるようになりたい。その気持ちを常に忘れないようにという思いが、バスケ人生でどんどん増して行ってます。

理事長40歳を超えてその気持ちが増して行くって、凄いことですね!

田 臥たとえば大きい選手はドリブル1個で済ますものを、僕はドリブル2つつくとか、逆につく前に1個前のアクションをちょっと中に入って、後ろにいるとか、そういう相手ができないようなこと、嫌がることを常に考えて動くようにしています。そういう小さいことをやっていくことが多くなって、それが楽しさになっています。

理事長年齢とともにできない課題が増えて来ると、それをクリアしようと工夫して、自分が成長できるということでしょうか?

田 臥選手生活が長くなるほど感じるんですが、できないことがあるのが“楽しい”というか…うまくいかなかったら、次はこうしてみようとか、微調整を常に毎日考えているのが楽しいので、多分続けられているのだと思います。

きっかけはNBAへの憧れ。
8歳から揺るがぬ、
バスケで生きる覚悟

理事長やはり桁違いの努力家というか、ルーズな私から見るともはや“神の領域”という感じがします。たしかお小さい頃からNBAを目指していたと。

田 臥純粋にNBAというものが小さいころからの憧れで、チャレンジしてみたいという思いが、一歩踏み出すきっかけになったのかなと思います。

理事長最初は、お父様が録画したNBAの映像を観てらしたそうですね。お母様もバスケ選手と伺っていますが。

田 臥はい。バスケットをやっていない父がなぜかNBAのテレビ録画をしてくれて、当時それを毎日のように同じ試合を繰り返し、繰り返し観ていました。

理事長なぜNBAにそんなに惹かれたんでしょう。日本のバスケではなくNBAだったんですよね。

田 臥プレーのかっこ良さとか、とにかく見たことないプレーだったので。あとは会場の雰囲気というか、アメリカの空気感がテレビから伝わってきました。日本で観ていたバスケットとは全然違うという衝撃を、小さいながら受けたのではないかと思います。

理事長最初にバスケットをした8歳の時から、NBAという目標があったんですか?

田 臥憧れとしてですが、常に頭にはありました。そこは揺るがなかったですね。

理事長プロバスケの選手になるだけでも夢のような話なのに、日本人のNBA選手なんて夢のまた夢ですよね。

田 臥僕もすごく覚えてるんですが、バスケットを始めて絶対に将来バスケット選手になるという思いは揺るぎませんでした。最初にやった時からです。絶対にプロ選手になる、これを仕事にしたい、ずっとやり続けたいという思いは確固たるものでした。誰に言われたわけでもなく、自分の中ですでに決めていました。

理事長やれる、という確信があったのですか?

田 臥やれるというより、やりたいでした。試合で負けたりしましたが、それでもやりたい。悔しい思いをすれば、絶対にやり返したいと思いました。目標を設定してそれに向かってやっていくこと、仲間たちと一緒に練習することの楽しさを、小さいながら感じていました。

理事長個人種目なら自分の頑張り次第かもしれませんが、チームプレーで歴史を塗り替えていくことができたのは、やっぱり田臥選手がそういう星を持っていたからでしょうか?

田 臥いやいや、もうそこは本当に仲間に恵まれました。中学校のときも最終的に全国3位まで行けましたが、同学年のメンバーはみな中学からバスケットを始めたくらいの素人の集まりでした。

理事長えーっ、それでそんなに強くなって?

田 臥そうなんです。みんなが練習を頑張ってくれて、顧問の先生も一生懸命熱心に教えてくれて。中学校のときは好きなようにやらせてくれました。確か関東大会の準決勝か決勝前かな?大事な試合だったのですが「NBAみたいなプレーをやって来い」と。

理事長そう言ってくれたのが、田臥少年にパトリック・ユーイング(当時のNBAスター選手)とのCM共演を勧めてくれた伊藤先生ですね。

田 臥そうです。そういう先生がいたり、本当に周囲に恵まれました。

すべてをつなげられる力。
天才的能力の源泉は
驚異的な脳

理事長でもそれは、やっぱり田臥選手ご本人がそういう空気感を作り、運や縁を引き寄せるのだと思います。あの名門・能代工業高校で1年生からレギュラーだったわけですが、普通は上下関係とかなかなか難しいですよね。

田 臥それに関しては、本当に先輩たちに感謝の気持ちでいっぱいですね。そういう3年生がいてくれたからこそ、自分が試合に出してもらうからには、3年生たちの分まで一生懸命やるのは当然だと思っていました。

理事長やっぱり、誰よりも練習している選手だったんですか?

田 臥手を抜いたりとかっていうのはしたくなかったです。その辺はたぶん真面目だったと思います。キャプテンという立場でもあったし、試合に出ているという立場でもあったので、そういう意識が自然とありました。練習するのも楽しみだったし、バスケットをやること自体が楽しかったので……。小学校からずっと続けてきてそうなんですが、練習をしたくないと思う日は一度もありませんでした。

理事長子どものころにバスケを始めたときから、もうずっとバスケが一度も嫌だとか、練習したくないっていうことがないのですね?

田 臥ないですね。親からも「やりなさい」と言われたり、「練習しなさい」と言われたことも一度もありません。秋田県だったので冬は本当に辛くて……。元々は横浜出身ですからね。言葉もわからなかったですし、いろいろとありました(笑)。そういった大変な中でも、仲間たちと一生懸命頑張って支え合っていました。

理事長難しいなというタイプの人とは、どうやってコミュニケーションをなさるんですか。米国ではかなり個性的で自己主張の強い選手とも同じチームでプレーされたようですが。

田 臥相手と議論して考え方を変えさせるより、自分が相手のためにやれることは何かを考えます。たとえば、どうしたら振り返ってもらえるか、興味を持って一歩踏み出してもらえるかを考えることが大切だと思います。自分の考えだけで押し通してやっていくと当然通用しないこともあるし、チームの味方もいて相手もいて、ベンチにはコーチ陣がいてスタッフ陣がいて、周りには支えてくれるファンがいる。
僕はそれ全部がバスケットだと思っています。全部がつながっている。その中で自分がしっかりとコントロールできることを、常に考えなければならないと思っています。

理事長すごく深い言葉ですね。私は『Never Too Late』という田臥選手の留学時代の御著書を読ませていただいて、とにかくものすごい記憶力と観察力、そして俯瞰で見る力に驚かされました。まるでルポライターが留学中の田臥選手につきっきりで、ビデオも回し続けて書いたとしか思えない、描写の細かさと文章の巧さに舌を巻きました。

田 臥そうですか(笑)。結構、僕は1回パッとみると、見たことが全部(映像のまま)頭の中に残るんです。その感覚がパスに活きているのではないかと思います。いや、そんなこと指摘されたのは初めてだなぁ(笑)。

理事長科学番組か何かで、天才プレーヤーの脳をぜひ解明してもらうべきですよ(笑)。先ほど、全部がつながっているというお話をなさいましたが、田臥選手の場合、すべての風景が脳裏にくっきりとイメージされた中で、自分がどう動いたら周りはどう展開して、どういう風に世の中が動いていくかをシミュレーションしていらっしゃるのだと思います。だからすごく偉大な一言だなと思っています。

田 臥全然そんな大したことないですが、本当にいろいろな人に支えてもらったりだとか、やはり経験を積んだからでしょう。

融通無碍に貫き通す。
やるのは自分。正解が
何かは、自分で決める

理事長たくさんの人に支えられてといつも感謝しながらも、決して満足してしまわず田臥選手は、そこからポンと次のところへ飛び出していくという感覚があるんですが……。

田 臥それがうまくいくかどうかは全然わからないし、もちろん結果を恐れるときもあるのですが、でも最終的にやらないことの方が一番後悔をするのだと思います。だったらやってみて、ダメならダメでまた次の一歩だったり、次の扉を開いてみればまた違う世界が広がるのではないかなという思いです。

理事長能代工業高校で9冠、そのまま日本でプレーをしていたら盤石で、そこから海外へという展開もあったはずですよね。なのにポンとアメリカ留学をされました。築き上げたものが大きければ大きいほど、失うことは恐怖だと思うのですが…。

田 臥築き上げてきたという感覚が多分ないのだと思います。ですから、ゼロにするっていう感覚もないです。9冠達成は本当に嬉しかったし、ありがたいことでしたが、それがすべてとは思ってなかった。自分一人でやったとも思っていないので、そこですかね。NBAへの挑戦も「日本でやっていれば」っていう言い方をして下さる方もいますが、正解が何なのかわからないじゃないですか? 僕もわからないし、それは多分、それぞれの方が決めることであると思います。

理事長同じ次元でお話しするのは失礼なんですが、私自身も実はNHKアナウンサーとしてニュースキャスターなどをやらせていただいて、その後フランスのパリに移住しましたが、そのとき本当に色々な方から苦言を呈されたり、バッシングを受けたりもしました。田臥選手が失うものもないし、築き上げたものもないしとおっしゃっても、「勘違いしているんじゃない?」とか、「もう戻ってくる場所はないぞ」とか、言われませんでしたか。

田 臥まぁ、NBAに行くときには言われましたね。でも、やるのは自分ですから。いろいろな見方があり、みんなが同じ意見ではない、みんなが自分の味方ではないし、自分の味方になってほしいというのは自分のエゴというかわがままだと思います。だからこそ逆の立場になったときは、そういう風な言い方をしないように気をつけないとと思います。

理事長それぞれ多様なのだから、その人その人の価値観があるし、見方があると。それだけでもすごいと思うのですが、さらに自分がされて嫌だったことは人にはしないようにしようと考えられるのは、本当に立派ですね。

田 臥どういう気持ちで相手が言ってくれたのかは、僕には分からないんで。自分がどう思うのか、どう振る舞わなければいけないのかという方に少しでもフォーカスした方が、時間のムダにならないと思います。口で言うのは簡単ですが、なるべくそういう意識にしなければならないと思ってます。

理事長やっぱりゲームの中でもそういう感覚をずっと持たれているから、平常心のまま客観的に状況判断できるんですね。カーッと熱くなったりはなさらない?

田 臥いや、ありますあります(笑)。それで余計な動きをしてしまったり。それがあるからこそ、トライ&エラーではないですが、繰り返し繰り返しやり続けるおもしろさにつながっていくというか、反省できて成長できるんじゃないかと思ってます。

人生100%バスケに捧げる。
それを貫かないのは
バスケに失礼だから

理事長でも田臥選手って、そうした記憶のすべてが鮮明に残るわけですから、大変ですよね。

田 臥そうですね。いつもバスケのことばっかり考えてます、人よりもずっと。大変ですよね(笑)

理事長それだと死んじゃいそうなので、バスケから離れて気分転換されることはないんですか?

田 臥ずっと考えていることは大変ですが、苦ではないんです。逆に考えていられることが、ありがたい。特に40歳になって現役でバスケができていると、考えていられることが本当にありがたくて、長く続けるとこうやって見えてくる世界があることも学びでした。

理事長8歳でバスケを始めた時に、「これでずっと生きて行こう」と確固たる思いで決意されたわけですから、他のことが入りようもないですね。

田 臥正直言って、入れるつもりもありませんでした(笑)。自分で決めたことには頑固だと思います。

理事長お話を伺ってると、何でも受け入れてくれて、穏やかに誠実に答えていただけるんですが、何かまったく揺らがないというか…

田 臥はい、そういう部分はすごくあると思います。チームメイトからは変態扱いされています(笑)。それも全然気にしませんし、それでいいと思ってます。それを貫かないとバスケに対しても失礼というか、それだけ情熱をもって向き合っていたいと思ってやってきています。

理事長引退は考えてらっしゃるんですか?

田 臥やはり歳を重ねると、そういうことになると思います。

理事長田臥選手のお話を伺っていると、現役選手であることと、そうでないことの違いがあまり無さそうな気がします。精神世界とか、人間のあり方とか、きっとこの人は違わないのだろうなと。

田 臥バスケくらい情熱を注げる、楽しいものを見つけられればいいなと漠然と思います。

理事長「見つけたい」と思いますか?

田 臥「見つけたい」という意識よりは、現役をどれだけ長く続けられるかの方に行ってしまいますね。

互いにリスペクトし合える
文化としてのスポーツを
日本にも根付かせたい

理事長バスケ人気は今また再燃して来ていると思いますが、これからの日本バスケにはこうなってほしいという、具体的なご希望はありますか?

田 臥僕が小さいころはプロリーグはなかったですし、オリンピックなんてまさか出場できるなんて思いませんでした。男子・女子ともに小さい子どもたちのバスケ人口が増えてくれて、上を目指してやっていってもらえることが一番です。アメリカでは文化としてスポーツが根付いているので、日本もそういう風になってくれればうれしいと、スポーツをやってきた身としては大きな夢だと思っています。

理事長コロナ禍という状況で、スポーツを含む文化活動全般が“不要不急”と一括りにされる傾向があり、強い違和感を抱いて来ました。東京五輪のおかげで、スポーツはやっぱりすごいパワーをもらえるものだし、必須なものであると、多くの方が感じてくださったと思っています。

田 臥本当に大変な状況ですが、やっぱりオリンピックを観ていると一瞬忘れてますよね。スポーツの力ってすごいなと思う瞬間です。元気をもらえたり感動したり、すごく前向きな気持ちにさせてもらえる。スポーツのそういう力は、本当にすごいなと今回改めて思いました。

理事長先日子どもたちに「“レジリエンス”という言葉が今のキーワードよ」という話をしたのですが、田臥選手がお持ちの、相手の力をかわしたり、あるいは一旦受け止めてしなやかに自分の力に変えていくような、そういった強靭な復元力のようなものを、スポーツほど具体的にイメージさせてくれるものはないと感じました。

田 臥僕のことはわかりませんが…、とにかくスポーツの力はすごいです。

理事長田臥選手のご本に、親友からの言葉を受けて「明日の自分は今日よりもビッグなはずだ」という一言がありますが、すごくいい言葉ですね。シンプルだけど前向きで志が高い。くじけないで頑張ろうという気持ちにさせてもらえます。指導を受けた方からの言葉でも「これはすごく刺さった」というものはありますか?

田 臥ええ、それこそ先ほどの中学校の時の「NBAみたいに思いっきりプレーをしてこい」という言葉。上から押さえつけられるのではなく、可能性を広げてくれる言葉でした。それからNBAのコーチにかけてもらった「大事なのは気持ちの大きさ。体の大きさではない」という言葉。それはとても勇気づけられました。

理事長その言葉、本当にかっこよくて、アメリカ的ですよね。

田 臥ね、アメリカ的ですよね。「ここで自信をなくしてはダメだぞ!」というときに呼んでくれて、肩を組んでかけてくれた言葉でした。自分もそういう風にタイミングを見て、勇気を与えられる存在でありたいと思わせてくれた言葉です。

理事長相手に対する信頼がなくては言えない言葉ですよね。

田 臥はい。互いにリスペクトがあればこそです。コミュニケーションを大切にし、うまくいくような道をお互いに探りながらやっていくところに、アメリカのスポーツの真髄を見た気がします。

理事長この会場は日本で言う「アクティブラーニング」、それぞれが主体性を持って意見を交わし、発表し合うことで、相手を尊重し互いに協調しながら解決策を探っていくための場なので、今のお話をここで伺えてとても嬉しいです。私たちの教育も、そうあらねばと強く思います。

締めくくりに、田臥選手が今思っている夢、当座の目標を教えていただけますか?

田 臥1年でも長く現役としてバスケを楽しむことです。また、バスケットを通じて何か貢献できればとも思っています。

理事長東京オリンピック前に行われた強豪国チームを迎えてのテストマッチでは、テレビ中継の解説をなさってましたよね。田臥選手の解説は、素人の私が聴いてもとても分かりやすいです。

田 臥本当ですか?そう言ってもらえるととても嬉しいです。プレーヤー以外の立場でも日本バスケに貢献できるよう、自分の幅を広げたいと思っていたところなので。

理事長お世辞でなく本当に分かりやすいです。他の解説者ですと、ゲームの盛り上がりに過剰なほど興奮したり、やたらとエピソードやデータを突っ込んで来たりしがちですが、田臥選手の解説はいつも平らかで俯瞰的。ゲームの要所を必要最小限の言葉と絶好のタイミングで教えてくれるので、理解度や面白さが格段に高まります。

田 臥いえ、まだやり始めたばかりなので…でも、これからも頑張ります。

理事長今はコロナ禍でこういった時期ですが、今の子どもたちにも田臥選手のように、海外への扉を開けてもらいたいと思います。日本はとても暮らしやすい国ですが、それだけに画一的であったり、一つのフレームや価値観に押し込められるところがあって、やっぱりいろいろな世界を見て、多様な価値観の人が増えていくことが大事だと思います。作新学院でも、今日のお話を是非これからの教育に役立てて参ります。
田臥選手の現役生活が1秒でも長く、そしてバスケ人生が永遠に続くことを、心からお祈りしています。本当にありがとうございました。