活気ある町づくりとは ー 第70回中学生の主張コンクール最優秀賞作品 ー

「活気ある町づくりとは」  作新学院中等部 2年 小林 心結

「津波警報です。今すぐ逃げてください。 東日本大震災を思い出して、今すぐ逃げてく ださい。」本当ならわくわくするお正月に、石川県能登半島地震は発生しました。つらく悲 しい新年の幕開けとなってしまいました。

 私は学校での被災地復興支援活動を通して様々な地域について学んでいます。その中で、地域の産業が元気であるということはその町に住む人も、明るく活気があるということに気づきました。

石川県には、たくさんの伝統工芸品があります。皆さんも輪島塗をご存知ではないでし ようか。国の重要無形文化財でもある輪島塗は、丁寧な塗りが魅力の一つです。また、伝統的な焼き物である珠洲焼もあります。黒く落ち着いた美しさが魅力で、墨の成分のおかげで水をおいしく飲めたり、イタリアンやフレンチのお店で使われたりすることも多いそうです。

もうすっかり私は能登のとりこ。能登にはまだまだたくさんの伝統工芸品の他、美しい棚田や観光地、能登かきや新鮮でおいしい魚がとれる漁港などがあり、国内外の観光客が訪れる活気溢れる場所なのです。

しかし、あの日から景色は一変します。輪島塗のほぼ全ての工房は火事で消失。作品は地震で壊れてしまいました。温泉旅館も建物が壊れて、約二万六千人分の宿泊がキャンセル。いつも元気な声が飛び交う漁港は、漁師さんたちの船を津波がさらい、海底が隆起し干上がってしまったのです。壊れてしまったのは物だけではありません。一番の被害は、被災された皆さんの心なのではないでしょうか。

いざというとき、自分は正しい行動がとれるのか。私は不安になりました。東日本大震災のとき、私は生後半年で記憶がありません。今まで大きな災害を経験したことがないので す。不安にかきたてられた私は、知りたい、学びたいと思い栃木県防災館へ向かいました。防災館は自然災害を疑似体験できる場所です。館長の駒田さんに案内していただき、私はまず暴風体験をしました。風速三十メートルの風は速さで例えると特急列車。車が倒れてし まうレベルです。直視することのできない、風の吹く方向から車が飛び込んできたら、皆さんは逃げられますか。次は煙体験室です。これはとても怖いものでした。火災が起こると電気は消え、夜間なら真っ暗で何も見えないだけでも怖いのに、煙を吸わないために、片手で口元を覆いもう片方の手で壁などをつたいながら、必死に出口を探さなければならない恐怖。非常灯の明かりは、生きるか死ぬかを分ける大きなポイントだと感じました。次の大雨体験室では、一時間に八十ミリ、いわゆる「猛烈な雨」を体験しました。猛烈な雨は音も気配も圧迫感があり、人は恐怖で動けなくなってしまうと身を持って感じました。そして、最後に体験したのは震度七までの地震です。日本で起きた大震災と同じレベルを体験しましたが、ここが安全な体験施設であると分かっていたから平常心が保たれたけれど、実際に起きたらパニックで頭が真っ白になってしまうでしょう。また、防災館には栃木の災害年表や、その時の記録や写真も展示されていて災害の残酷さが目を引きました。私が思わず、「あぁこうなったらいやだな。」と心の中の声をもらしてしまったとき、駒田さんが真剣な目で、「正しい防災知識を身につけて備えることは、被害を軽くできたり、迅速な地域の復興につながっていくんだよ。」と声をかけてくれました。その時私は決意しました。学校での被災地復興支援活動や防災館での災害体験と駒田さんの言葉があと押しとなり、防災士になることにしたのです。そして、今年の六月、私は防災士になりました。防災士の基本理念は自助・共助・協働。自分の命を自分で守り、互いに助け合うというものです。自分の大切な人や地域を守るためには重要なことであると、強く強く思いました。

防災士について学んでいく中で、防災分野での女性の活躍の重要性を知りました。女性 の目線に立った災害対応は地域の防災力向上につながります。これから防災士として私も、私たちが住むこの地域を誰もが安心して暮らせる、活気ある町にしたいです。女性が力を 発揮するこれからの防災。私もみんなも明るく過ごせるように、さあみんなで一緒に手をとり合いませんか。