一休会 碑

いっきゅうかい ひ

1945年7月12日の宇都宮空襲の後、片付け動員されていた下野中学校(現作新学院)の当時2年生だった5名が、アメリカ軍艦載機による機銃掃射によって亡くなったことを忘れないように、毎年1学期の終業式に合わせて高等学校生徒会主催で慰霊祭を行っています。
昭和19年に入学した生徒のみなさんでつくった 『一休会』 の同窓の方々が毎年慰霊祭を実施してきましたが、戦後80年が経ち、みなさんが高齢となられたことを受け、高等学校生徒会が受け継ぐことになりました。
作新学院の“平和への願い”は、次世代へとしっかりと受け継がれています。

1945

昭和20年ごろの出来事

  • 宇都宮空襲とは?
    1945年7月12日、深夜から翌日未明にかけてアメリカ軍B-29爆撃機による焼夷弾攻撃によって、宇都宮市街地の約半分が焼失。620名の尊い命が奪われ、1128名以上の人々が負傷しました。当時宇都宮は「軍都」と言われた場所で、軍需工場や飛行場などが多く、戦意喪失をねらった爆撃だといわれています。特にJR宇都宮駅から東武宇都宮駅周辺が甚大な被害を受けました。

※ 7月12日は、「宇都宮市平和の日」と定められ、今も戦争の悲劇と平和の大切さを伝える活動が行われています。

1号館横に一休会碑があります。
作新学院の“平和への願い”は、次世代へとしっかりと受け継がれています。