創設者 船田兵吾先生
そうせつしゃ ふなだひょうごせんせい
下野国梁田郡上渋垂村(現足利市御厨町) 赤城神社の神官の三男として誕生。船田家は先祖代々神職にかかわり、幼いころから祖父より学問の手ほどきを受け、勉強に親しんでいました。
明治17年(1884年)宇都宮に出て私塾に入門し、漢学・文学・剣術などにおいてその才を発揮しました。
次第に、学友間のリーダーとなった兵吾先生は明治18年(1885年)に下野英学校を設立し、18歳で校長となりました。以後、私学の運営と子弟の教育に心血を注ぎ、厳格な教育のなかにも慈愛深く、多くの学生から敬愛されました。
1868年(明治元年) 9月28日~ 1924年(大正13年)12月11日
【おもな受賞名】帝国教育会長功牌(明治44年)/勲六等瑞宝章(大正12年)
《船田兵吾像》
1952年(昭和27年)作
新潟県長岡市出身の彫刻家 武石弘三郎氏の作品
ブロンズ像(横66.9×高さ67.5×奥行37.5cm)
1885
明治18年ごろの出来事
- 内閣制度発足
1885年12月 初代総理大臣に伊藤博文が任命されました。 - ノルマントン号事件
1886年10月和歌山県沖でイギリス貨物船ノルマントン号が沈没。日本人乗客25名が亡くなった。不平等条約改正を求める国民運動の高まりにつながりました。



