作新アカデミア・ラボ
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34理事長:医学の道を志されたのは、お父様の勧めと伺っていますが。山中:父は工場の経営をしていたんですが、跡取り息子の僕に 仕事を継げとは言わず、高校生くらいの時から医者になれ、医者になれと言っていました。糖尿病と肝炎を患っていたため、息子が医者になってくれたら嬉しいと思ったのかもしれませんが。理事長:お父様から託された夢を叶えたい、そしてお父様の病気を治したいというのがモチベーションになったと。山中:医学に対する興味が生まれたのは、父親がきっかけだと 思うんですが、当時は「お医者様」って感じで医師の力が圧倒的に強く、夜間診療もしていないとか。そんな中で、患者さん本位の医療をやろうというドクターが出てきて、そういう人の本を読んで、高校生くらいですから感化されやすいんですね。これは、すばらしいな、自分も医者になりたいと思ったんです。10代って、そういう 正義感とか反権力主義とか持ちやすい年齢じゃないですか。理事長:私がジャーナリズムを志した動機も同じでした。真実を 一人でも多くの人々に伝えることによって、理不尽で矛盾だらけの世の中を少しでも理にかなった社会にしたい。ひたすら正義感に燃えていた気がします。先生も権威主義的なお医者様でない、市井の人々を救う医師を目指されたと。山中:僕は、大学の医学部では整形外科医、中でもスポーツ医を目指していました。自分も柔道やラグビーをやってしょっちゅう故障やけがをして、涙が出るくらい痛い。ただそれでも練習をしないとレギュラーになれないというツラさがわかる。そういう選手を専門に診る医者になりたいというのが、学生時代のビジョンでした。理事長:実際、整形外科医になられましたよね。山中:はい。ただ最初に大きな大学病院に勤務したこともあり、 患者さんの大半は重症のリウマチや骨肉腫といった重篤な病気やけがの人ばかり。とにかく、まったく治せない。自分にとって整形 外科のイメージは、スポーツ選手を治して元気に帰っていくという明るいものでしたから、実際医師になってみると全然違った。理事長:私も大学卒業後に念願のNHKに入局したんですが、 自分の意思や考えを表現する機会が制限されていて随分とまどい ました。ディレクター志望だったのに、配属先がアナウンサーという こともあったとは思いますが。先生はその後、医師から研究者へと転身されますね。山中:ええ。実は父親が亡くなってしまい、病気だった父に結局何もしてあげられなかったことで、医師としての道をどうドライビングしたらいいかわからなくなってしまって。そういうことがきっかけで始めたのが、研究なんですね。研究というのは時間がかかる「不変」の志のために「変化」を選ぶ。非直線型のキャリアデザインアプローチは、変遷していいと思うんです。こうありたいというビジョン、世の中を少しでも良くしたいという「志」さえあれば。—畑 恵

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